12 マニエリスムとアカデミズム ハイパーメディア・ライブラリーとライティング3
この章には何が書かれているか?
(メモの作り方を少し変えてみますrashita.icon)
まず、マニエリスムという新しい概念が紹介され、ハイパーテキストという概念との接続が図られる マニエリスムの二重の原理
カノン
自由
カノン
固定化した手法によって、先行する作品の模倣を積み重ねる
マンネリという日本語の言葉のもと
先行の気まぐれな傑作を、公式化して、教育可能にする
より正確な引用
「先人の気ままな傑作を、知的に解釈し、教条化し、公式化して、教えたり習得したりできるようにし、それによってだれしもがそういう傑作を描けるようにしたいと考えた」
この理念は、アカデミズムの出発点とも重なる
「あちこちから美しいものを厚め、これを統一し、まずこの上なく優美な手法をつくる。ひとたびこの手法ができあがったのちは、これを用いて、いつでも、どこでも、傑作をつくることができるようになる
手法(マニエラ)
手法(おもに芸術家の手法)、職人のこと
マニエリスムの様式的特性は「作品のつぎはぎ性」にある
マニエリスムの様式的特性をブリッジにして現代のアカデミズムの状況に話が移る
しかるべき学術論文に掲載された論文は、引用の連鎖の中に組み込まれている
自然科学では、「新しいこと」を発見できるが、社会科学や人文科学ではすべてのことがすでに言われてしまっている
ではなぜ、引用に満ちた「マンネリ化」した論文を書き続けるのか?
アカデミズム・マニエリスムを、単なるパッチワーク以上のものとして捉える
ここまで確認してきたように、ポストモダニズムは、もはやオリジナリティはなく、あるのは模倣だけというスタンス。
しかし、マニエリスムにはカノンに加えて、もう一つ自由の原理があった
大切な点は、マニエリスム・アカデミズムの人たつは、他人の言葉で何を語ったのか、なぜ「つぎはぎ」をしたのか
もともとの文脈に属していた言葉・知識を「別の」関連に接続した
情報を集めて統一するという点では、データベースの整備とマニエリスムの方法は似ている。
しかし、今までにある方法ではない方法で情報・知識を利用しようとする点で違いがある
ある知識体系で整理されたものを、別の知識体系を構築するために使う
rashita.icon開かれた書物の解説と呼応する内容
硬直したアカデミズムには、このような自由はない(逆に言えば、硬直していないアカデミズムにはあるということ)
『マニエリスム芸術論』より
彼らは神のつくったものを模倣するのではなく、神の創造を模倣しているのである
既存の可能で体系化されていた知識に新たに別の関係を与えることによって獲得される自由
体系を一つしか持たないデータベースではなく、複雑に複数の体系を可能にするナレッジ・ベースの世界
カノンと自由の二重の原理を備えたアカデミズムのための思考のエンジン
コンピューターを使ったエクリチュールを可能にするハイパー・メディア・ライブラリ
コンピュータ化されたライティングの世界は21世紀のマニエリスム
コンピュータを使った表現活動の真髄は「虚構の世界のきわめて自然らしい再創造」
よくある誤解「自然なるものを再現しようとする」
rashita.icon別の話題だけも興味深いので引用
それは、人間の仕事を人間に代わって完璧にこなすマシーンである。そしてこのマシーンは常に人間と、すなわち真なるものと比較される。
現代はむしろ人間が機械のような動作ができるかで評価されている気がするので逆転しているように感じられる。
人間の仕事を人間に代わって完璧にこなすマシーン
人間(真なるもの)と比較される
*いかに人間と同じように思考するのかがAIで問われるといった形で
真なるものを現前させるというロゴス中心主義の思考システムは、ミメーシスのマシンが精巧になるほど、存在基盤が怪しくなる
コンピュータが生み出すのはミメーシスの連鎖で、そこではオリジナルと模倣の境界線があやふやになるから
そうなると、絶対的なオリジナルを設定するしかないが、現代の私たちはそれを素朴に信じることはできない
マニエリスムは、オリジナル不在のニヒリズムに陥ることなく、「自然らしさ」の神話を破壊した
アレゴリズムを経由する、物語ではなく思想を読み取る姿勢
rashita.iconアレゴリズムとアルゴリズム、という対比を思いついた。
コンピュータで生成される世界は、虚構ではあるがリアリティを持つ
新しいリアリティと新しい実証主義
rashita.iconこの辺はむしろVRの話として読める
複数の「本」の形
ロジャー・シャンクによるアカデミズムへの提言
ロジャー・シャンクは、1984年の『認知コンピュータ』の中で、コンピュータは人間の認識の限界を拡大していく装置だと述べた。 コンピュータのもっとも有効な使用方法のひとつは、我々に自分自身と自分たちが済んでいる社会を今までにない新しい視点から見させてくれることである。
こうした機械が大学に入ることで、学問や大学の形も変わっていく
大学教授が企業家となり、自分で資金を調達している事例も出てきているが、それだけではアカデミズムが抱えている問題は解決できない
いっそ、大学そのものを企業家集団のようなものにする
教授の発明や知識を「搾取」する機能を大学に持たせる
教授の作品をマーケットで売れば、政府や企業とは異なる知的な意思決定ができる
スタンフォード大学、MIT
最終段階を(政府や企業などの)他人の手に渡してしまうのは無責任であり、欲求不満もうむ
だが、自然科学者の仕事が発見した法則の製品化にあり、社会科学者の仕事が理論の政策への応用であり、人文科学者の仕事が考えていることを書くこと(ライティング)にあると考えると、最終段階を他人の手に渡してしまうことは無責任でもあり、また欲求不満を生むことにもなる。
rashita.icon科学者の仕事とは何か、という大きな問題
TsutomuZ.icon 大学に資金が「投下」されたという表現が、オッペンハイマーを意識下いるかのようでした。
rashita.iconなるほど。
企業家的大学のイメージ
迷宮のような知識と複雑なネットワークが大学内に張り巡らされている
ハイパーメディア・ライブラリーとキャンパス・ネットワーク
教授と学生は、その集積の拡大を試みながら、塊を操作する手法の研究を続ける
書物はすべてハイパーテキストの連鎖の中で解体されている
しかし、人が知識や思想を理解するには体系が必要なので書物は書かれ続ける
rashita.iconここら辺からまとめっぽい印象
人間の思考は複雑で、操る知識の量も多く、体系も複雑
モダニズムの科学が発展したのは、そうした複雑性を一旦無視し、単純な体系に収まるものだけを対象としたから
それによって、タイプライター的思考も進化した
その発展自他ギア、複雑な世界の存在を教えてくれた
コンピューターは、当初複雑な世界を、簡単な手続きを大量に行うことで把握しようとする試みだった
しかし、仔細に複雑なものを複雑なままに扱うためのマシーンとしても使用されはじめた
複雑なものを複雑なまま提示するのは意味がない
rashita.icon地図は、原寸大では地図にならない
複雑さを前提として、人工的な整理された構築物を思考する
ポストモダンの仕事
古典様式への挑戦
正統的権威を与えられた合理的な思考体系への挑戦
そこには奇妙なねじれがある
モダニズムが、19世紀末の古典様式への挑戦として生まれた
先行する合理的な様式を疑い、デカダンスのなかで、新しい表現様式を模索する。 そのモダニズムは概ね失敗に終わった
新しい形が古い形を乗り越えていった実感はない
その実感がポストモダニズムを駆動した
さらにそのポストモダニズムも終わろうとしている
新しい表現形式が求められているが、それは20世紀のモダニズムの復権ではない
タイプライター時代(モダニズムの時代)の感性は、エレクトリニクスとコンピュータの感性に変貌している
新しい時代の、新しい表現は、ハイパーテキスト化した知識の迷宮の中を軽快に公開する人間によって作り出される
以上、本文はここまで。以下「あとがき」
「思考のエンジン」とは
ソフトウェアでいうところの、推論エンジンのようなもの
文章を作るマシンから思考を生み出すために使うヴィークルへ、そして、「映像と文字情報と音声という異なるメディアがクロスした奇妙なアンビエントとでも呼ぶしかない世界を作り出す」装置
rashita.iconVR、シミュレーション、『文学のエコロジー』
藤幡正樹「僕たちはグランドピアノを持っている。だが、まだピアノ・コンチェルトを書いていない」
ピアノ協奏曲のこと
道具はあるが、それを「使う」ための何か(ソフトウェア、ノウハウ)がないということ。
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